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学べる、ということはとても贅沢なことである。
この学校は、仕事を続けながら学生をやっている人が少なくない。私もその一人だ。
そのため時間の制約はあるけど、学べる時間がとてもとても貴重で愛おしく感じる。
今日の小休止は、武満徹氏のギター作品を福田進一先生の演奏で聴いている。
さらに贅沢な時間をすごしている。
# by violinmusik | 2007-01-08 20:08 | 鑑賞
古楽団体アンサンブル30のコンサート。
通奏低音の山下さんと安岡さんとともに、ルクレールのソナタop.9-3を演奏させて頂いた。
この作品は、私にとって非常に思い出深い曲である。
初めて全国規模のコンクールで入賞したときの予選曲なのである、10歳のころ。
あのときは、ルクレールがフランスの作曲家であることも、バロック時代の音楽であることも、イマイチ認識していなかった。
ただ、勢いにまかせて弾いていた。
30歳になったいま、音楽を歴史の一環としてとらえ、大局的な見方ができるようになった。
そして、他人ではなく自分が演奏するということが、20歳のころより無意味とは思わなくなった。
一日一日、音楽やヴァイオリンのことを知れば知るほど、
音楽もヴァイオリンがかけがえのない存在になっていく。
幸せがこみあげてくる。
明日が待ち遠しい。
# by violinmusik | 2007-01-07 23:33 | 演奏

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室内楽の師匠が、私のことをコンピューターちゃんとよぶ。
この師匠、生徒にあだ名をつけるのがけっこう好きなようである。ありがたい(か?)。
そのわけは、昨日書いた、平均律と関連がある。
師匠の持っている電子音叉(平均律で調整してある)と私の音程が寸分の狂いもない、
ということを師匠が発見したのがそもそもの発端。
自慢しているように聞こえるかもしれないが、これがきっかけで私は師匠に多いにお叱りをうけることになる。
先生:「そうじゃなくて、もっといい響きにできないかな?その音をちょっと高めにとるんだよ!」
(*響きとは西洋音楽の基本理念である!)
私:「アッ先生、高くするにはちょっとスイッチを切り替えなきゃ」
先生:「・・・」
との会話の中で、私の頭の中がPCのようになっているのだと決めつけられてしまった。
平均律モダンピッチ(A=442)がベースのPC。

昨日から、シャルパンティエ《真夜中のミサ》のリハで初体験中のA=392(モダンよりおよそ全音低い)
頭のスイッチの切り替えは、思ったより簡単にできた!
自分でも驚いている。
PCも学習するのよ、せんせい。
# by violinmusik | 2007-01-06 17:14 | 演奏